11月

7,587文字

「きこえる?」
ジャングルジムのてっぺんから、少年の声が降ってくる。
天野は首を傾げて、彼が見つめる方角へ頭を振る。赤々とした夕日に照らされて、錆び付いたブランコが揺れていた。
きぃ、と独りでに揺れるそこに人影はない。しかしその下、すり減った地面に出来た水溜まりに、波紋が広がっていた。
天野は、金属の管から降りてくる少年に尋ねる。
「とおる、あれ、なに?」
「わかんない。でも、うるさい」
水面をじっと見つめていると、吸い込まれるような感覚に襲われる。赤い空を映していたそれが、ゆっくりと黒く濁り、澱んでいく。
「みちゃだめ」
袖を引く感触がした。
「かずま……」
「あれは、みないほうがいい。きかないほうがいい」
いつの間にか天野の隣には二人の少年が立っている。一人は不快そうに顔を歪ませて、もう一人は凪いだ表情で。
あれは一体何だろう。何が潜んでいるのだろう。亨は聞こえるのだろうか。和真は知っているのだろうか。
動かない天野を見て、和真は軽く息をついた。
「かえろう」
手を引くのは、いつも彼だった。



午後。食後の余韻に浸りながら、リビングのソファで通知を待つ。さて彼らとの集合は何時だったかと思いを巡らせたところで、背後に嫌な気配を感じた。
「佑〜買い物付き合って!」
「ぐえ!」
背中に鈍い衝撃。持っていたスマホが吹っ飛んだ。
ぐりぐりと上半身を押し付けるのは我が姉。そう認識して、さっさと家を出るべきだったと後悔した。
姉は何かお強請りをする際、ボディタッチで甘えを表現してくる。いくら姉とはいえ豊満なそれを意識するなというのは無理がある。血の繋がった身内に興奮するのはさすがに気まずい。死にたくなるので離してほしい。
食卓で蕎麦を啜る妹と視線が合って、素知らぬ顔をされた。今日の生贄は俺のようである。
「そろそろコート買わないとまずいんだよね。あとついでにネイルも新調したい」
きらりと光る長いそれを首元に突きつけられて息が詰まる。例えるなら人質だ。大人しくしていたところで無惨に犠牲になるタイプの。
「んー……俺この後忙しいからまた今度」
「は?彼女ちゃんとデート?」
「そうです」
「生意気!私と彼女どっちが大事って言うのよ!」
裏声で首を締めてくる姉の圧が凄い。柔らかいとかじゃない。重量。
この姉、一見は愛情余って暴走しがちなただのブラコンに思えるかもしれない。しかし騙されてはいけない。俺に彼女がいようがいまいが、デートがあろうがなかろうがそれらは些末なこと。彼女が欲しいのは、姉の命令に逆らうことのない従順な弟だ。尊厳なんてない。
「私はこんなに佑を愛してるって言うのに……」
「知ってる知ってる。ちゃんと姉ちゃんのところに帰ってきますって」
「んまぁ〜薄っぺらい口!このこの!」
満更でも無さそうな姉に、今日は逃げ切れるかもしれないと頭の隅で考える。機嫌が悪い日は問答無用で連行されるから。その後は大量の紙袋に押し潰されるか、愚痴のフルコースである。
別に愚痴を聞くのが嫌いなわけじゃない。自分に話してスッキリすると言われるのは嬉しいし、役に立てたなら誇らしくも思う。ただ姉の場合、少々パンチの強い話が多くて、世の中の闇をドロドロに煮詰めて凝縮したようなそれに恐怖を覚えることもしばしばなのだ。あれを聞くのは体力がいる。
薄い口を引っ張られながら、あと二、三言ぶつけて煙に巻こう。そう考えた時だった。
「おかしいね。兄ちゃん、この後亨さんと和真さんに会うみたいだけど」
はたと、顔を上げる。
妹は、フローリングにしゃがみこんで俺のスマホを弄っている。
なぜ?
「17時に集合だって。全然時間あるね。ハシゴするの?」
友人と彼女をハシゴ、まるで都合のいい場所を捨て歩くような言い方はやめてほしい。
いやそうではなくて、なぜ俺のスマホを我が物顔で弄っているのか。
「落ちてたから」
声に出てた?
「佑」
耳元に吐息が吹きかかって、ぞわりと背筋が波打った。
「彼女を門限で帰すんだ?」
「いや、あの」
「ヘ、タ、レ」
語尾にハートマークが付きそうなねっとりボイスに、今度こそ喉から甲高い悲鳴が鳴った。
ぐい、と首根っこを掴まれズルズルと引きずられる。助けを求めて伸ばした手に、妹からスマホが投げ付けられた。危ないから手渡ししてほしい。
「嫌だ!!!!!!エネルギー満タンで会いたいの!!」
「お姉ちゃんが充電してあげる!」
金切り声も華麗に無視され、為す術なく連行される。力ならもう昔のように負けることはない。だが抵抗すれば後でもっと酷いことになることはわかり切っていた。
車(もちろん運転席だ)に押し込まれ、俺は悟りの心で一息つく。
全く、寛容な俺に感謝してほしい。



三人、対面で揃うのは久しぶりだった。
六十里和真は忙しい。代々歴史を守る神職に就く一族に生まれ、幼い頃からその使命に骨を埋めるべく精進していた。半年ちょっと前、審神者を養成する一貫校の高等部を卒業し、今は本丸という職場に住み込みで働いている。なお、在学中も補佐を任されていたようだ。
一方松風亨と俺、天野佑星は同じ大学に通っている。亨は理系、俺は文系。棟が違うものの、同じテニスサークルに所属しているため、しょっちゅう顔を突き合わせている。
今回亨の住むマンションの一室に集まったのは他でもない。和真が無事19歳の誕生日を迎えたためだ。
「ハイ!和真老けた!カンパイ!」
亨がさくっと缶を掲げてさっさと飲み始める。
「はい乾杯」
「……乾杯」
「んだあ佑星、声が小せぇぞ」
「いや……姉ちゃんに捕まって……」
「ノロマ」
「おつかれ」
首を一つ捻って彼は再びビールを呷る。みるみる傾いていったかと思えば「ぷはー」と満足げに缶を置いた。音からして中身は既に軽い。
「亨は強いのか」
「強いっちゃ強いけど、この子はそれ以上に飲んでは吐いて、吐いては飲んでするんだよ」
三人で飲むのは初めてである。それを聞いて和真は哀れみの表情をした。
「胃悪くするぞ」
「聞けよ和真ーコイツよっえーの。飲みがいねぇんだよなあ」
「俺が弱いんじゃなくて亨が化け物なんだって」
亨は意に介せず俺を箸で指す。俺はそこに摘まれているオニオンリングを攫う。「あっ意地汚ねぇ」と不貞腐れる刺し箸の亨を無視して押収物を口に放った。塩の効きすぎない良いしょっぱさだった。

亨とは、月に二、三回開催されるサークルの飲み会でよく隣に座る。亨はバイトで出ないこともあるし、俺はふらっと別の卓にお邪魔することもあるので、常に一緒というわけではないのだが。いい子とお近付きになれた日には、亨を置いて先にお暇することもあった。当の亨は、女の子とどうこうよりもお祭り騒ぎを好いていて、二次会三次会まで頑張ったり頑張れなかったりしているらしかった。
数回の試行でわかったのは、亨の飲み方にまともに付き合っていたら身が持たないということ。
あれは確か、いよいよ夏季休暇に入ろうかという頃。ハメを外すという言葉が相応しい飲み会だった。
トイレに立ってから澄ました顔で飲み直す亨を見て、ああなるほど、吐けば楽になるのかと早合点した。そのまま亨に合わせて飲んでいると、猛烈な眠気に襲われ、次に目覚めた時には便器とお友達だ。
吐いたからといって楽になるわけでもなかった。むしろ酷くなった倦怠感を抱えて戻ると、「天野くん酔うと面倒くさいね」なんて、からからと笑う声を浴びせられた。それだけ覚えている。
後から亨に聞いた話によると、その空白の時間帯俺は、飲みすぎて肝臓が爆発しそうだとか、こんなに酔って帰ったら妹にミミズ呼ばわりされるとか、中身のない話を永遠繰り返していたらしい。もう二度と酒量は間違えないと誓った。

円卓を囲う三方のうち一人、和真がアルコール度数の低い缶を開けている。確か飲むのは今日が初めてだと言っていたので、まずは様子見といったところだろう。一口啜ってまた一口。ぱちりと瞬きした。
「ジュースだなこれ」
「飲み始めはそんなもんよ」
「吐くまで飲めよ。じゃないと許容量わかんねぇからな」
「和真を吐かせないで。てか許容量守らない人が言うセリフじゃない」
「守るんじゃねぇ、知ってることが大事なんだよ」
「最もらしく言ってるけどね」
亨が吐けば楽になるのは、ただの食べ過ぎで吐いているだけで、何か酔い成分の分解自体は早いとか、まあそんなところだろう。一般人である俺は真似してはならないと思うし、せっかく飲み食いしたものを吐き出すことは極力避けたいので真似したくもない。
「てか和真、おウチは留守で大丈夫なのかよ。やっぱあるんじゃねぇの?祝儀」
ここでいうおウチとは、おそらく実家か職場のことだ。俺も気になっていたので視線をそちらに向ける。
和真は数秒の沈黙の後、にぃと片頬を吊り上げた。
「実家には本丸、本丸には実家で祝宴がある体で伝えておいた」
「やってんな」
「ドヤ顔で凄いこと言ってる。それバレたら拗れない?」
「嘘は言ってない。実際午前は本丸で過ごしたし、午後は実家に顔も出した」
「こーゆーのは夜が本番だよな。よくわかってんじゃねぇか」
バシバシと和真の背を叩く亨は能天気に笑っている。全く、彼らを犠牲にさせてしまったことに対する罪の意識はないのだろうか。
和真にだって和真のコミュニティがあって、俺たちがそれを侵害するようなことはあってはならないと思う。一歩間違えば誘拐のようだ。何せ俺たちの関係を、和真の周りは知らない。
「お姉さんは?確かこっちで生活してるんだよね」
「ああ、姉貴は日付には拘らないんだよ。そのうち飯でも奢ってもらう」
あっけらかんと言う和真を見て、慣れているのだなと思う。記念日はその限られた時間の儚さを楽しむべきだと思う身としては、その笑顔が少し複雑だった。
「それクリスマスとごっちゃになるヤツだろ」
「去年なったな」
そら見ろ、人の記憶など長くはもたないのだ。鉄は熱いうちに打たなければ。

姉という生き物は、自由だ。
弟に仕事を引き継がせて自分はとっとと出ていったという和真の姉。何やら研究をするために大学院を目指しているらしく、ゆくゆくはそのまま研究者として働くつもりなのだとか。
そういう博打をする人の気は知れない。
自分の研究に成果がでるのか、深く身を入れてみないとわからない。前例のない未踏の地を切り拓くことは気持ちがいいだろう。でもきっと、それ以上に泥を被ることの方が多い。
しかも研究は、多くの人に認めてもらうことが最終的なゴールだ。顔も知らない誰かに。
今自分がやっていることは、世のため人のためになるのか、ならないのか。果たして意味はあるのか、ないのか。
勝算が曖昧な物を一途に追い続けるには、そういう"大きな対象"は弱すぎる。そのうち意義を見い出せなくなって、自分の価値すら見失うのだ。
自分は何のために、誰のために、何を選び、何を捨てるのか。もっと身近で確かな意義を見るべきだ。例えばそう、弟とか。

「あ゙〜働きたくない……」
「ぎゃははは!情緒不安定かよ!」
「なんだどうした。バイトの話か」
「……そういや明日シフト入ってるわ……」
突っ伏した頭に何かが乗せられる気配がする。手を伸ばして確認すると、コンビニで買ったおしぼりだった。
「……審神者って実際どうなの?楽しい?」
「うーん」
聞いてみると、和真は少し考え込んだ。
「……小さい頃からやっていたことの延長線というか。取り立てて今が楽しいかと言われると、そうでもない」
「へー。じゃあ嫌ではないんだ」
「そうだな。みんな面白いし、よくやってくれてる」
和真の口ぶりからは、名誉ある称号を継げて嬉しい、というような感情は見えなかった。それでも継いでいるのは、職場の仲間や姉のことを思ってのことだろう。
大概お人好しだと思う。こういう人間だから、色々なところに繋がりがある。そして彼はその縁をそれぞれの形で大切にすることができるのだ。誰かを蔑ろにすることなく。そういうところを俺は好いている。
けれど時々、心配になる。板挟みになってはいないかと。俺たちと会うことが重荷になっていないか、あるいは、職場で過ごすことに苦痛はないか。
「相変わらず俺らのことはバレてない感じ?」
「ああ。元々しつこく言うのは父さんなんだ。日誌だの行動記録だの……。けど俺が就いてから少し忙しいみたいでな。最近は記録流し見してるかも」
「おー。じゃあもっと外出れんじゃね」
「出てるな既に」
和真がこちらに出てくるのは月に一、二回である。それほど増えている気もしないが、言われてみればここ数ヶ月は二回以上来ている。といっても半日とか、夕方から夜にかけてだけなので、長く一緒にいる実感がないのかもしれない。
「ふーん……本丸の人たちは?」
「いやあいつらは……ふわっとしてるからな……」
「お前に言われたくはねぇだろうよ」
「え?」
「なに、ボケ飽和してるの?」
「ちゃんとツッコミもいるぞ。三人のボケを的確に捌いて……」
「イジメ?」
「虐めてるのと、弄ってるのと、本当にボケてるのがいる。すごい」
「イジメてんじゃん」
「はは、職場で漫才やってんのかよ」
ピアスをいくつも付け、襟足を刈り上げたいかつい見た目に反して和真はどこか抜けている。これがあと何十人もいるのを想像して、混沌具合に頬が引きつった。
けれども、まるで家族のような関係なのだろう。その様子は少しだけ気になった。
「……見てみたいなあ」
普通の"友人"として、彼を取り巻く世界に認識してもらえたら。そんなことを夢見てみたりする。
何ともないような顔をしているが、和真だって一々隠すのは疲れるはずだ。息抜きのために外に出てきているのに、そう神経を尖らせていては休まるものも休まらない。本末転倒だ。
六十里和真、いや伯労は、審神者である。
審神者生活区域に入れるのは審神者関係者のみ。彼がこちらに出ることは許されても、こちらが彼の領域を犯すことは許されない。
考えてみればおかしな話だ。同じ人間であるはずなのに、まるでそちらが管理者であるかのような。なぜ友人一人に会うことに罪悪感を抱かなくてはならないのか。
それでも、見えること、聞こえることが世界を変えてしまうことは知っている。知っているから、甘んじて受け入れている。
「来るか?」
だから、その言葉の意味を理解するのが遅れた。
「はい?」
ひゅう、と隣で口笛の音がする。
「さすがに家となると厳しいが、街案内くらいならできる」
和真がピザを食べながら答える。落ち着き払った顔も、言っていることも何一つ理解できなくて、引きつった唇は乾いた音を吐いた。
「……マジ?そんな簡単に入れるもんなの」
「ああ、通行証さえあれば簡単に。偽造したらちゃんと判定された」
「そんなポンと偽造されちゃっていいの!?」
何をしているんだこいつは。何をどう血迷ったらパスポート偽造なんて真似をやらかすのか。好奇心は猫をも殺すとは言うが、本当にいつか死ぬかもしれない。
息を細く吐き、目を閉じる。だだっ広い暗闇の中で、ぐるぐると視界が回っていた。
「あのね和真、酔ってる?」
「いや、多分そんなに」
「酔ってるやつはみんなそう言うんだよぉ!」
助けを求めて首を回すと、亨は怖いくらいの無表情でイカ焼きを噛みちぎっていた。
「いーじゃん。てか佑星は何をそんなに焦ってんだ?」
「焦りもするわ!さすがにヤバいって」
「なんでだ?何がヤバい」
「何って……!」
じ、と感情の読めない目が俺を見つめている。亨はたまに、こういう冷めた目付きをする。俺はこの目が苦手だった。見る度に、亨のことをやけに遠く感じたから。
「……禁止されてるってことは、ヤバいことがあるってことでしょ」
「例えば」
「犯罪が起こった時、身元の特定が面倒だとか」
「大人しくしてればいんじゃね」
「……霊的な何かに会った時に、一般人は対処できないとか」
「こっちよりあっちの方が安全だぜ。整備されてるからな」
淡々と返す亨に一抹の違和感を抱く。亨は目を逸らさない。まるで俺が答えに辿り着くのを待っているかのように。
「……君たち、グル?」
二人は顔を見合わせる。
そのまま俺を他所に会話し始めた。
「案外遅かったな」
「ああ。佑ならもっと早く言ってくるかと思ってた」
「ちょっ……と、どういうこと」
「どうもこうも」
亨は凶悪な表情でピースした。
「お世話になってます」



げらげらと大きな笑い声が響いている。近所迷惑で追い出されそうだなんて現実逃避をして、亨の家は防音性が高いことを思い出した。引越しを手伝わされた記憶が蘇る。しょうがないなあとぼやきながらも、目新しい亨の私物にテンションが上がっていた気がする。ああ、懐かしい。楽しかったな。
「君たちさぁ〜……ほんとさぁ……」
「アー!無理笑う、ヒーッヒッヒッヒ」
痛む頭を押さえる。情報の威力が強すぎて、言語は出力できそうになかった。
些細なルール違反、未成年飲酒や信号無視くらいなら、多くの人がやっている。理由は格好付けであったり周りの雰囲気であったりする。人が多ければ多いほど、"万が一"が自分に降りかかる可能性は低くなるからだ。皆が「自分は大丈夫」という自信の下に橋を渡る。
俺もまた、これまで生きてきて思う。有難いことに、自分は"大丈夫"側の人間だ。
だとしてもこれは、度が過ぎる。
「ねぇ〜何なの?俺仲間はずれ?おかしいって……」
「ひー、いや、俺にはあっちの方が性に合ってんだよ。別にお前には必要ないと思うぜ、実際」
その言葉に、何か気持ち悪い物が胃から上がってくるのを、すんでのところで飲み下した。
苦労という苦労をしたことはなかった。出会う人は皆よくしてくれた。時に理不尽な目にあっても、それをいつまでも引きずるような質でもない。俺の人生は、楽しいと言って差し支えなかった。
だからこそ、理解できないことがある。
見えないものに苦しむ姿だけが見える。一体何に苦しんでいるのかわからないから、慰めの言葉は薄っぺらなものになる。当然相手に響いている感触はなくて、互いの間に深い溝が刻まれていることに気付く。どうしようもなく別世界なのだ。それが歯痒くて、苛立たしかった。
理解することを許されない。俺のような人間がいくら表層を撫でたところで、深層には届かない。
「ミーハーなお前なら見たそうだとは思ってたんだ。でも全く聞かないから。もしかして遠慮してたのか?」
「いやーチキンなだけだって。やーい天野チキン佑星ー」
どちらもきっと的外れでない。遠慮。人を侵害して、支配するような人間になりたくなかったから。チキン。分の悪い賭けはしない。無闇に自分を過信しているわけではないのだ。
分かっているのに、ひどく不快な何かが胸を焼く。
「俺も行く」
吐き出してしまえば、案外それは簡単に消える。

ああ、もう戻れないな。
戻る気もない。それでいい。決めたなら、罪悪感は捨てる。俺は間違っていないと。
俺は、俺が選んだ道を正解にすればいいのだから。

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