そこにいますか?

6,056文字

「出す、分ける、捨てる!」
パァン、と小気味良い音が鳴る。丸めた紙の束をとおるがハリセン代わりにしているのだ。
「ちょいちょい、それどこに置いてあったやつ? 大事な書類かもしれないから待って」
「検閲済みだ。お前が宗教に興味があるってんなら話は別だが」
「ああ~……それそんなに溜まってたか……」

秋。日が短くなって来た頃。俺は亨とかずをアパートの一室に呼んでいた。
きっかけは、ふと「亨の部屋ってスタイリッシュだよね」と呟いたこと。三人で会う時は亨宅に集まることが多い。その日も亨の生意気な部屋に賛辞を贈っていたところ、俺の部屋を見せろという流れになったのである。
「そんなに散らかっているようには見えないが」
和真がその辺を物色している。それは端末キャリアのマスコット人形だ。そうそう、思う存分揉むといい。
「無駄に整頓だけはされてるからな」
「無駄にって何! 亨と何が違うっていうの!」
「だから、物の数」
キッチンから戻ってきた亨はビニール袋とスズランテープを携えている。俺が一人暮らしを始めてから数える程しか来ていないはずだが、勝手知ったる様子で部屋を横断していた。
「とりあえず、よく分からんファイル類を捨てろ。学生時代の試験を実家から持ち出してくる奴があるか」
「え~……せっかく全部綺麗に揃ってるから、なんか愛着あって」
「ホコリまみれにしといてよく言うぜ」
「と、当時はそれなりに見返してたんだよ」
平気で授業をサボる亨に教えられるようにと、勉強は真面目にしていた記憶がある。ノルマをこなす感覚は好きだし、自分の復習のついでだったので、それほど使命感を持ってやっていたわけではないが。
そんな俺の成績は上の下あたりだったか。大体上級コースのボーダーには乗っていたはず。とはいえ学年が上がるにつれ数学は雲行きが怪しくなっていったし、化学は宇宙言語と成り果てた。
一方亨は赤点さえ取らなければいいのスタンスで、毎度テスト期間に詰め込んではその場を凌いでいた。ほとんどが赤点スレスレだが、物理だけ頭一つ抜けていた気がする。未だに謎だ。
「今見ないならいらないだろ。その様子だとタンスも肥えてんな」
「なるほど。縦入れか」
亨の言葉を裏付けるように、和真は洋服タンスを開けて頷いている。上から順に引いては押して、ある段で止まった。
「……パンツが多いな」
「やだエッチ。どの子も役割があるのよ。勝負下着とかあるでしょ」
「きしょ」
「シンプルに悪口」
勝負用の他には旅行用、銭湯用など。普段使いの物は前列を陣取っている。よれてきているのでそろそろ買い替え時かもしれない。
「ねぇ和真~あるよね? 勝負下着の一枚や二枚」
「あるぞ。赤ふん」
「え……? 決闘でもするの……?」
「ああ。牛とな」
「どんなバイオレンスな闘牛!?」
「あれは肝が冷えたなあ」
俺は赤ふん一丁の和真と地面を引っかく牛を交互に思い浮かべて、笑えばいいのか泣けばいいのかわからなくなった。股間目掛けて牛が突進してくるんだぞ。下手すりゃミンチだ。和美ちゃんになってしまう。
「あーなるほどな。度胸試し的なヤツか」
「そうだな。赤という色には厄除けの力があるから、祝い事とか、成人の節目にやるんだよ」
亨は着々と紙の束をスズランテープで縛っている。世界史のレポートだろうか。文化の違い、という文言が目の端に映った。
「実際タマ潰れたヤツいんの?」
「玉というか、全身を複雑骨折した例があるらしい」
「今すぐやめるべきだよその悪習!」
「そうだな」
「他人事ォ!」
「まあ、他人事だから」
「……ん?」
ぱんぱんに膨張していたファイルは、空になっても形状を記憶していた。亨がそれを容赦なくビニール袋にぶち込んでいく。
ふと顔を上げて、半目で見つめてきた。
「嘘に決まってんだろ」
「…………あ!?」
首がもげそうな勢いで和真を見る。いつも以上に感情の読めない綺麗な瞳。とってつけたような笑みの口元。
しばしの沈黙を破ったのは、豪快な笑い声だった。
「ぶわははははは!!」
「うっさぁ! なんだよ二人して、君たちそういうとこあるよね! ねぇ!!」
全て理解した。どうやら真っ赤な嘘だったらしい。限界だと言わんばかりにゲラ笑いを始める亨を小突いて、和真に噛み付いた。
「どっから!? どっからどこまで嘘!?」
「あはは。ほとんど? 赤ふんは持ってるぞ」
「持ってんのかい」
亨はハリセンを床に何度も叩き付けている。教祖らしき人物の顔が折れてシワシワになっていた。
「教祖泣いちゃうでしょ。早く縛っちゃいなよ」
「ヒィー、あ? やだよ。コイツは最後だ。はい次、そっちの封筒」
ビシ、とハリセンを向けるのは俺が持っている箱。中には封筒や便箋、葉書などが収められている。
「ヤダー! これは思い出の品!」
「お年玉って書いてんだろうがァ!」
「大事なお年玉だって! 今は亡きおじいちゃんが毎年お菓子と一緒に贈ってくれたのぉ!」
「ハァーッ!? お前さては包装紙とか取っとくタイプか!? だから部屋に余白がなくなるんだよ!」
「グワーッ! だって滅多に会えない人とか、それ見て思い出すんだよ! ちょっと浸ってふふってなるの!」
「会わないヤツ思い出してどうすんだ」
どうやら亨には感慨というものがないらしい。俺は助けを求めて振り返った。
「ねぇ和真どう思う!? ほら、審神者は物を大事にするんでしょ!?」
ベッドのぬいぐるみ達を両手に抱えた和真は、ぱちりと瞬きをした。
「大事にする方法は、人によって違うんじゃないか? ゆうみたいに手元に置いておく奴もいれば、亨みたいに手放して循環させる奴もいる。器を失くしたからといって、思いも一緒に消えるとは限らないだろ」
「はえ」
和真は澱みなくそう述べた。
「まあこれは、消えないで欲しいっていう、俺の願いでもある」
「…………」
柔らかく笑った顔は、知っているようでいて知らないものだった。
全く、一丁前に職務を全うしているらしい。きっと常日頃からそう願っているのだろう。
「おう。じゃあそういうことで、捨てていいか?」
「それはダメー! わかったから! 包装紙はちゃんと捨てるから!」
「えぇ……どんだけじいちゃん好きなんだよ。いつか封筒からなんか出てくんじゃねぇの」
「そういうこともあるかもな」
「あるの!?」
「あんのかよ!」
どこまで本気かわからないが、審神者が言うのだからそうなのかもしれない。あったとして、俺はそういうものを視ることはできるのだろうか。



手放す葛藤に悶えながらも、断捨離は粛々と進められていた。プリントや冊子など、雑紙類はハリセンを除き玄関に追いやられ、今は小物を吟味している。
「ぬいぐるみはさすがに捨てないよね」
「…………」
亨は返事をせず、つぶらな瞳を睨み続けている。その肩をぽんと叩けば、腹に肘がめり込んだ。
「よし、もうオメーの部屋、賑やかな感じでいいんじゃないか」
「うげほ! ここまで来て!? いい感じにスタイリッシュにしたいんですよ!」
「そもそも部屋の主がスタイリッシュじゃないから無理」
「そんな元も子もないことを!」
盛大なため息と共に亨は部屋を見回す。その視線を追って、解放された棚とデスクに少しの満足感を得た。部屋が主を体現するというのなら、主もまた部屋に影響されて然るべきだ。形だけでも格好良くいたい。
顎に手を当て、和真が唸る。
「ベッド下に入れるとか」
「既にパンパンなんだよね」
「壁に棚付けるとか」
「あー、それは賃貸だからなあ」
二人で腕を組んでいると、おもむろに亨は壁をノックした。コンコンと軽い音が響く。
「これ表面石膏ボードだわ。専用の壁傷付けない棚とか結構売ってるぞ」
「マジすか」
「そういえば亨の部屋、壁に色々付いてたよな。CDジャケットとか」
「よく見てんな。まあそういうことよ」
どんどんぬいぐるみがベッド上に集結してくる。昔父にねだってクレーンゲームで取ってもらったモモンガ、姉からお下がりでもらったアルパカ、一時期妹と取り合いしたオコジョ、元カノが置いていったウーパールーパー、その他諸々。元々バスケットでぎゅうぎゅうにひしめいていた彼らは、今やピラミッド型に積み上げられている。
「壁一面に飾……いやそれは怖ぇな」
「え、なんで」
「いや……視線が……」
「いいじゃん、見守られてる感じで」
亨の渋い顔に、パペット人形を突き付けてみる。近づけた分遠のいていった。カエルの形をしたそれは、確か児童読み聞かせのボランティアでもらったのだったか。
実家から持ち出してきた物もあれば、こちらに来てからの新入りもいる。加えて家族が「これ好きだったでしょ」と掘り出してくるので、こちらが賑やかになるに反比例して、実家の自室は存在を消しつつあった。
一人暮らしを打診した時はあんなに反対したくせに、結果的に俺を追い出すような形になっている。果たして自覚はあるのか。
「音楽室の肖像画とかなんかヤだろ」
「ああ~……。でもうちの子はみんないい子だから」
「わかりやすく生き物の形してるとダメなのか?」
「……多分」
「へー。教科書の偉人に落書きしてたのは、囁かな抵抗だったわけね」
「それは違ぇ」
太ももの辺りをはたかれた。そういえばそのハリセンには教祖の似顔絵が描かれていたはず。そのような扱いで良いのだろうか。
「何か宿っているかも」
ドレッドヘアーの人形がぬっ、と顔を覗き込んできた。カエルの口を開けて応答する。
「何かって?」
「愛と勇気」
「あんこ詰めようか」
「憎しみに変わってしまうぞ」
厳かな声で窘めてくる。腕を引っ込めてカエルを見つめてみた。君はこしあん派か、つぶあん派どちらだ。ちなみに俺はつぶあんの食感が好きだ。
「食べ物の恨みは怖いねぇ」
「食べ物というか面汚しの恨みだろそれ」
「そういう亨も面に優しくないじゃない」
「コイツはなんかムカつくからいいんだよ」
「かわいそう」
誰かが似顔絵を描いているだろうに、その言い草はあんまりである。目の端に笑い皺を刻んだ仏のような笑顔は、確かに胡散臭く見えなくもないが、教祖のほうもムカつく顔に生まれたくて生まれたわけではないだろう。どれほど似ているのかはさておき。
ドレッドヘアーを右手に嵌めたままの和真が首を傾げる。
「どうして取っておいたんだ?」
「え……特に理由はないけど……たまに郵便受けに入ってるんだよね。別に直接勧誘受けるわけじゃないから、とりあえずほっといてる」
「とりあえずで纏めとくからいつまでも部屋が片付かないんだぞ」
「纏めるだけ偉いんじゃないか」
「……和真の部屋ってどんなの?」
「うーん」
「笑って誤魔化すな」
和真は細かいことを気にしないので、散らかっていても構わず生活するのだろうなと思う。漆塗りの平机、うずたかく積まれた書類、ガラス製のインク壺や羽根ペンを想像して、少し心が踊った。
「でも蓄積式の術とかあるから、気を付けろよ」
ふと変わった声色に、そんな空想はシャボン玉のように四散する。
「はい?」
「塵も積もればってやつだ。一つ一つに大した効力はなくても、徐々に術中にはまっていることがある」
すう、と細められた目に、背筋が寒気立つ。
「どこでもいい。少しずつ積もらせて、頃合いで一つ、背中を押す」
和真の意図は読めない。からかっているのか、真面目な忠告なのか、半々なのか。

「そういう催眠とかな。あるんだよ」

呼び鈴が鳴った。

しん、と静まり返る。
普段、アポなしの訪問であれど返事はすることにしている。隣人が何かと良くしてくれたり、友人や姉妹が押しかけてきたりするからだ。
しかし、和真が変な空気にしてしまったせいで、何となく出づらい。
亨に目配せすると、無視だ無視、と顎で主張する。和真のほうは、家主である俺の意向をただ待っているようだった。
時間の流れがやけに遅く感じられる中、居心地の悪い空気が過ぎ去るのを待つ。

長くは持たなかった。俺は沈黙に耐えきれずに口を開く。
「もう行ったかな……?」
「ーーいや」
潜めた声で亨が言う。
「足音聞こえねぇ。まだいる」
落ちかけた顎を押さえつけられた。喉奥から変な音が鳴る。
少なくとも二分ほどは待ったはず。体感なら五分だ。
「なんでそんな怖いこと言うの……」
耳打つとごきりと首が鳴る勢いで突っぱねられた。
痛みに呻きつつも亨の言葉を咀嚼する。和真ならともかく、亨はこの手の嘘はつかない。俺たちは和真のように自分を守る術も余裕も持ち得ていないし、実際にそういう目に合ってきて、笑えない冗談だとわかっているから。
一体誰が、何が、何のために待機しているのか。心中穏やかではない俺は腰を上げた。覗き穴から姿だけでも確認しておきたい。
突っぱねたくせに亨が後ろでおい、と引き止めるのが聞こえる。構わず玄関の方へ足を向けると、和真が着いてきた。細い廊下の先にある扉。さほど広くもない部屋であるので、すぐに辿りついた。
辿りついたそこで、
「ちょっと退いてくれ」
「え、」
ぐい、と肩を引かれ場所を入れ替えられる。
和真が手にしていたのは、赤い布。
二度見する。
和真が振り上げたのは、俺の赤いパンツ。

そしてあろうことか、それを覗き穴の前で縦横無尽に振り始めた。

俺は叫ばずにはいられなかった。
「ーーなんで俺のパンツ!!!???」
応援団のように旗振りしたかと思えば、鶴のように片足で立ち上空に赤を掲げる。舞というにはあまりにも滑稽で、シュールな光景だった。
「は、ひひ、ひ、アーッハッハッハッハ!!」
亨が笑いの発作を起こした。



和真が一息ついて振り返った頃には、俺は宇宙の理について思考を巡らせていた。亨は芋虫状態になっていた。
「だからなんで俺のパンツ?」
「いや……亨が笑ってくれるかなあと……」
「息を潜める状況だったと思うんだけど!?」
「まあ、めんどくさくて」
「めんどくさくて!?」
がくがくと和真を揺らすが、暖簾に腕押し。一向に響いている気がしない。
そのまま近づいたり遠のいたりする声で彼は弁明する。
「笑波っていう、魔除けになるんだよ」
思わず手を止めてしょうは、と復唱すると和真は頷く。
「そう、笑う波で、笑波。古典的手法なんだけどな。赤い布もそう。やりすぎないし、このくらいが丁度いい」
そりゃあ、これほど堂々と居留守を使われたら訪問者も気が萎えるだろう。亨の笑い声は近所にも響いていたに違いない。長年これを聞かされて慣れている身にしても、至近距離で聞くと鼓膜が召される。
「え……本当にお化けだったの?」
「どうだろう。そんな感じはしなかったけど」
「なんだあ。じゃあやっぱり萎えたか」
知人であったら申し訳ないとはいえ、亨はお手柄だったらしい。音圧の功労者を褒めたたえようと振り返る。
亨は四つん這いで固まっていた。
「亨ー、いなくなったってさ」
彼は動かない。床のある一点を凝視している。
俺は首を捻りつつも視線を落とし、気付いた。

あるべきはずのものがない。先程まで爆笑しながら床に叩き付けていた"それ"がない。
亨の手は、行き場をなくしたように頼りなく空に残されている。そこから床に零れ落ちるきめ細かな何か。
"それ"があるべきであった場所には、

黒い砂だけが積もっていた。

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