酔っ払いから電話がかかってきた話

3,810文字

突然暗くなった端末の画面に、鶺鴒はがちんと身を強ばらせた。
画面を見つめること数秒、どうやら誤発信ではなさそうだと判断し、座布団から腰を上げた。
くるりと後ろを向き、廊下に出る。左右に首を振って、世話焼きや酒飲みの刀剣の姿が見えないことを確認する。再び踵を返して、障子を後ろ手に閉めた。
端末は未だ震え続けている。
鶺鴒は眉間に皺を寄せて、応答の記号をタップした。
「……はい、もしもし?」

『……あ〜……鶺くん?』

画面に表示されていた"天野佑星"という文字。電話の主が間違いなくその人であることを理解する。
鶺鴒は一つ息を吸った。
「そうですけど……何?どうした急に」
この男から電話がかかってきた時といえば、待ち合わせに少し手こずった時くらいだ。それも律儀に『電話していい?』と前置き付きの。
今すぐ、電話でなければならないほど、切羽詰まっているのだろうか。心当たりはない。けれど言い淀む様子は何か、何か大事なことを切り出そうとしている気配がした。

『酔い過ぎたときってどうしてる?』

「はい?」

鶺鴒は素っ頓狂な声を上げた。
酔い過ぎたとき、どうしているか。酔っ払ったとき。酔い過ぎて困ったとき。文字を脳みそに並べて、それらはある一言に全て押し流された。
どうもこうも、『吐く』だ。酔い過ぎた時点で全ては詰んでいる。電話してまで助言を求める暇があればトイレに急ぐ。
明後日の方向から飛んできたボールに、鶺鴒は頬を引き攣らせていた。
天野は電話口の向こうで深く深く溜め息を吐く。
「あのぉ、今大学生時代の友だちと飲んでるんだけど」
「……はぁ……」
「その、大学生ノリが酷くて」
「へぇ……?」
「ちょっと、……もういいかなって……」
はは、と乾いた笑いを落として、沈黙が訪れる。
酔い過ぎたという割には、よく口が回っているように思える。ただ、どうも少し参っているようだ。こうは言っているが、もしかすると『一人だけ酔いが覚めてしまった』という、言葉とは逆の状況なのかもしれない。
「……お前は酔ってんの?」
「……酔って……ますね」
違うらしい。
じゃあなんだってんだよ──、鶺鴒は畳を蹴った。
「あの、鶺くんくらいしか思い付かなくて」
うろうろと、部屋を行き来していた足が止まる。
「ほら、鶺くんて冷静じゃん。落ち着いてるじゃん。だから……、酔い過ぎたなって時、鶺くんならどうするかなって」
「は、はぁ……?」
鶺鴒は彼方に宇宙を見た。
仕事じゃねぇんだぞ、と思った。冷静な判断を迫られる場面じゃないだろう。潔く吐いて、頭痛に苦しんで。解法などない。大体冷静なやつは酔い潰れるまで酒を飲まない。
言いたいことは山ほどあった。けれどそのどれも酔っ払いには通用しない気がした。
鶺鴒はこわごわ尋ねてみる。
「気持ち悪いとかあんの?」
「いや、それは大丈夫」
「……これ深刻な感じ?」
「……深刻……ですね」
いかにも深刻そうな声で訴えられたが、相手は天野佑星である。ひ弱ぶっているだけかもしれない。けれど深刻であると進言された以上、無碍に扱うのも気が引ける。
鶺鴒は眉間を揉んだ。
「何人で飲んでんの?」
「四人……ですね」
「それは、お前含めて四人?」
「そう」
「じゃあお前は今一人で抜けてきて?向こうで三人がわちゃわちゃしてる?」
「そういう感じですね」
「宅飲み?」
「いや、居酒屋」
状況を段々と把握してきて、居酒屋のトイレかどこかで端末に縋りついている天野の情景が浮かび上がってくる。
それが正しければ問題はないのだが──、
鶺鴒の頭には一つの懸念があった。

これ、スピーカーで公開されてねえよな?

よくある話だ。その場のノリや罰ゲームで、友人恋人その他親しかったり親しくなかったりする人に、電話をかけそれを公開するという催し。大学生ノリというなら尚更。
歯切れの悪い天野の声の向こう側からは、ガヤガヤとした音が入っている。中には笑い声もあったが、それが近くなのか遠くなのかは判別がつかなかった。
「どうしよう」
「どうしようって……」
端末を耳から離して時刻を確認する。画面端に表示されている20:35の文字。終電に困るような時間ではない。
「いっても8時半だろ。何、二次会行きたくないの」
「いやぁ、まぁ、あはは」
天野の返事は要領を得ない。
「……え、何?その大学生ノリっていうのの、具体的な中身は聞いていいやつ?」
「ん?うん、それは、大丈夫」
「どういうノリの──」
「あ、でも亨には言わないで」
亨、という言葉を頭の中で変換する。松風亨、またの名を松籟。政府職員で、天野の友人。豪快で、物怖じしない男。
「言わねえよ、言うわけねえよ、言えねえよ!?」
電話口で叫んでしまったのは、自分のせいではないと思う。
なぜ自分が彼に言えると思ったのか。雑談すらままならないというのに、『お前の友人が酔っ払って俺に電話をかけてきた』などといきなり言い出せるはずがない。
「俺そんな仲良くないし!てか、アイツぜってぇ面白がるだろ!誰が言うか!」
「うん、そう、ふっ、あはは、そっか、そうだよね」
「何笑ってんだ!?」
やはりこいつ、本当は酔ってなどいないのではないか。今まさに俺が声を荒らげてしまったところを、身内で酒の肴にしているのではないか。
「ねえ鶺くん、俺はどうすればいいと思う?」
「だからっ……!」
行けばいいではないか。どうせ朝まで飲むこともザラなのだろう。終電を逃したなら始発で帰ればいいじゃない、の宗派の奴だろう。別世界の人間の意見なんか求めてないで酒でも何でも浴びていればいいのだ。

「鶺くんの言うことに従いたいんだよ」

ふと、鶺鴒は奥歯に鈍い痛みを感じる。
口を開けて、歯をきつく食いしばっていたことに気が付いた。

「…………、いや……普通に帰りたいなら帰ったらいいんじゃないですかね……」
「鶺くんならそうする?」
「はい……まあ、俺は予定あるって断るかな……」
「そーだよね?そうだよなあ」
天野の返事は、どうにも気の抜けたものだった。
うん、うん、と何やら向こう側で納得するような音がする。
「いやほんとごめん、ごめん」
そして急に謝罪の言葉を落としてくる。
「もしかしたらあとでまた電話するかもだけど、めんどくせえなコイツって思ったり、寝てたりしたら出なくていいから」
謝った割に厚かましいような、やっぱり腰が低いような、酔っ払いと評する他ない文言を投げてくる。
「おう……いや電話くらい出るけど……」
それで電話に出なかったとして、翌日路上で男の死体が発見されても目覚めが悪い。どうせ酔っ払いなのだから、こちらも発言に気を遣う必要はないのだし、生存確認に付き合うくらいの体力はある。
というか結局まだ飲むつもりか、ちゃんと帰って寝ろというツッコミは容赦してやり、ひとまず男の申し出は了承することにした。
「ほんとごめん、マジでごめん。こんどお詫びする」
「あーうん。頼むわ」
「ごめんね、じゃあ、また連絡するね」
「はい。じゃな」
『うん、ありがとう。ばいばい』
短い別れの言葉を聞いて、すぐさま通話終了の記号をタップする。
明かりの戻った画面を鶺鴒はしばらく見つめていた。
棒立ちになっていた足を畳から剥がし、先程までかじりついていた机を見下ろす。
机の上には紙切れが散らばっている。改めて見ると、我ながら酷いミミズ文字だった。
誰に言われた訳でも、期限がある訳でもない。しかしそれ故にやる気の起こし方が難しいデータの整理作業。
整理しているうち、そろそろ新しい編成でも考えるかと思い立ち。男士の能力や性格、隊のコンセプトや合戦場との相性、数値をこねくり回し、考え始めればきりがないところまで迷走していた。思い付くまま全てに手を付けようとしたところで、結局どれも中途半端になってしまう。そして月末、歌仙や長義に泣きつくことになるのだ。
全然冷静じゃない。頭が回ってないことも大いにある。そういう時、鶴丸や獅子王が水を得た魚のようにいじってくるように、天野もまた、隙あらば人を手のひらの上で転がそうとするところがある。
鶺鴒がいつも冷静でないことは、天野もよく知っているはずだった。むしろこちらを掻き乱している筆頭ですらある。
それでも、彼の中で、自分はまだ冷静らしい。

「オラたーいしょ!!まーだ仕事やってんのかーーーあ!?」
「うわああああああああああ!!」

ビシャーン、と派手な音と共に、障子が開いてまた反動で閉じる。
「こわっ、壊れる!障子壊れる薬研!!」
「ァア?こいつはそんなヤワじゃねえって、ほらたいしょ!珍しいモンが見れるぞ!」
赤ら顔の薬研が、青い顔の後藤に取り押さえられている。
「今日は獅子王が先に落ちた!はは!たいしょーが行ったらおもしろ、えらいことになるぜ!」
「大将!あそこはもうダメだ!行っちゃダメだ!!薬研ももう終わり!!」
「はァ!?鶴丸がまだ粘ってんだろうがよぉ!」
「いやあれやべえって!なんか変なハイになってたよぉ!」
半開きの障子の向こうで二つの影が揉み合っている。
どうやら飲み部屋では派手な飲み比べが発生しているらしい。しかも自分がいる時より羽目を外しているときた。
こういう時に限って歌仙は遠征で不在だし、というかおそらくそれを狙っている。スライドしてきた監視役・後藤はもういっぱいいっぱいという顔をしている。ワンオペは荷が重かったかもしれない。

すぅ、と息を吸う。

「いつも急に開けんなって言ってんでしょうがぁ!!」

今日は、早めに寝るか。
叱責の声は、しっかり腹から出た。

cast

← contents